トピック
太平洋赤道域から北極海における硝化とその物質循環における影響(海洋研究開発機構 塩崎拓平)
基礎生産は生物を介した物質循環のすべての始まりです。海洋表層における基礎生産は一般に窒素によって制限をうけています。そのため海洋表層の基礎生産を窒素供給源の違いにより、分けて考えることで、より詳細な物質循環の把握が可能となることが知られています。その中でも供給される窒素が基礎生産過程に関与する生態系の「外から来るのか」「内で循環しているのか」が物質の収支を考える上で重要です。このことから、外から来る窒素による生産は新生産、内で循環している窒素による生産は再生生産と呼び区別されています。新生産は生産された有機物の沈降量とバランスするもので、物質の移送を考える場合基礎生産そのものより重要であると考えられています。
外から来る窒素として最も重要と考えられているのは硝酸塩です。硝酸塩は窒素ガスを除く他の窒素の化学形態に比べて海水中で最も安定で、最も多く存在します。そのため深層から表層に供給される無機態窒素の大部分が硝酸塩となります。これまで深層から供給された硝酸塩による生産は15Nでラベルした硝酸塩の取り込み速度で見積もられることが国際標準プロトコルとして採用されており、全球で測定されていました。そして、その知見を元に表層で生産された物質の深海への沈降量が見積もられるに至っていました。しかし、近年のモデル研究によって表層での硝化活性が無視できないほど大きい可能性があること、それによって硝酸塩による新生産が過大評価されていたことが示唆されていたのです(Yool et al., 2007)。
硝化はアンモニア酸化(NH4+→NO2-)、亜硝酸酸化(NO2-→NO3-)という二段階のプロセスで成り立っていて、それぞれ異なる生物が関わっていることが知られています。最初の段階であるアンモニア酸化は硝化プロセスの起点になるため、硝化を制御するものとして特に研究が進んでいます。近年までアンモニア酸化はアンモニア酸化細菌(Ammonia-Oxidizing Bacteria, AOB)によって主に行われていると考えられていました。そのため海洋における硝化の制限要素はAOBの生理特性と関わっていると考えられていました。しかしながら、近年Thaumarchaeota門に属する古細菌がアンモニア酸化を行っていること(Ammonia-Oxidizing Archaea, AOA) が示され、さらにその後の研究により海洋における様々な海域でAOAはAOBに対して高い現存量を持つことが示されました。そのため現在ではAOAが海洋における主要なアンモニア酸化生物であると考えられ始めています。しかし、現在のところ観測例は限られた海域にとどまっており、アンモニア酸化生物の分布やその制御要因についてはほとんどわかっていないのが現状でした。
このような背景の中、本研究では太平洋赤道域から北極海に至るまでの約7500 kmにわたる縦断観測においてアンモニア酸化生物とアンモニア酸化活性の分布を調査し、さらに海洋環境との関係から、アンモニア酸化の制御要因を明らかにすることを試みました。また本研究では硝酸塩取り込み速度の測定も同時に行い、硝酸塩による新生産の見積もりに硝化がどの程度影響しているかを海域毎に調べました。
アンモニア酸化に関わるamoA遺伝子の遺伝子量と発現量の結果から、研究海域を通してshallow clade archaeaと呼ばれるAOAが主要となっていました。そしてアンモニア酸化活性はほとんどすべての測点において有光層で検出されました。すなわち、ほとんど全ての海域で硝化が表層の物質循環に影響を及ぼしていたことになります。特に亜熱帯貧栄養海域ではアンモニア酸化が硝酸塩取り込み速度の最大87.4%(平均55.6%)を占めており、硝化が窒素循環に大きな影響を及ぼしていることが示されました。一方、ベーリング海、チャクチ海浅海域では、アンモニア酸化速度が低いために硝化の寄与は小さくなっていました(0-4.74%)。同海域ではアンモニア酸化の基質であるアンモニウム塩の濃度が非常に高くなっていましたが、海底が非常に浅く(< 67 m)、光が海底まで入射しうる環境となっていました。光は硝化の制限要因の1つとして知られています。そのため、同海域では光環境が硝化を制限していたことが示唆されました。
この浅海域を除くとアンモニア酸化活性の水柱積算値は基礎生産の水柱積算値と正の相関がありました。アンモニア酸化と基礎生産は共に、亜寒帯で顕著に低く、一方、ベーリング海の陸棚縁辺域では高くなっていました。この相関関係は一見、基礎生産が活発な海ではバクテリアの分解も活発になるためアンモニウム塩の供給量も多くなることが原因と思われました。しかし、それならばアンモニウム塩が供給されればアンモニア酸化活性は高まるはずです。しかし本研究においてアンモニウム塩を人工的に添加しても、ベーリング海の陸棚縁辺域を除いてアンモニア酸化活性は高くなりませんでした。太平洋亜寒帯域はHNLC(high-nutrient low-chlorophyll)海域、ベーリング海の陸棚縁辺域はグリーンベルトと呼ばれ、両海域の基礎生産は微量金属の影響を強く受けることが知られています。そのため基礎生産とアンモニア酸化の正の相関関係は、アンモニア酸化が基礎生産と同様に微量金属の制限を受けていることが要因になっていることが示唆されました。
本研究によって硝化の制限要因と各海域での物質循環への影響の度合いが明らかになりました。この成果は新生産、再生生産の概念の再構築に役立てられると考えられます。
本成果は、英科学誌「The ISME Journal」9月号に掲載されました(http://www.nature.com/ismej/journal/v10/n9/abs/ismej201618a.html)。