科学研究費補助金 新学術領域研究「新海洋像:その機能と持続的利用」

連載

塩分がコントロールする海の流れ

海洋化学では様々な元素や化合物、海洋生物では膨大な種類の魚、プランクトン、微生物などを研究対象とするのに対し、海洋物理学で扱うパラメタは数種類しかありません。しかも、中心となるパラメタは水温と塩分のわずか2つです。


図1. 海面における塩分分布。単位は‰(パーミル)。
海水の塩分はおよそ3~4パーセントである。

塩分とは、海水中の塩の濃度です。(新聞などではよく「塩分濃度」という表現を見ますが、「分」という言葉が本来「濃度」という意味なので、「塩分濃度」というと「塩の濃度の濃度」という意味になってしまいます。) 水温と塩分が分かると海水の密度が分かり、それから流れを計算することができます。流れを測る方法は色々とありますが、直接測るためには船から超音波を出して測ったり、船を使って流速計を海中に設置・回収するなどしなくてはならないため、それによって世界中の海の流れを常時モニターするのは困難です。そのため、水温・塩分を測定して密度計算から間接的に流れの分布を求める方法の方が広く用いられています。

海の流れが水を運び、かき混ぜているにもかかわらず、塩分は一様ではありません。海面における塩分は北緯20~30度、南緯20~30度の亜熱帯域では高く、それより赤道側の熱帯域や極側の亜寒帯域では低くなっています(図1)。これは、大まかには海面における蒸発(→塩分を上げる)と降水(→塩分を下げる)の差で決まっています。亜熱帯高気圧に覆われ、いつも天気のよい亜熱帯域では蒸発が降水を上回り、塩分が高くなります。これに対し、積乱雲が発達し雨のよく降る熱帯域や、蒸発が少なく雨がしとしとと降る亜寒帯域では塩分は低くなります。塩分はベンガル湾(インドの東)やアマゾン川河口(南米大陸の北東側)のような、河川から淡水が大量に供給される海域でも低くなっています。

このような塩分の違い、またその時間変化は、水温とともに海洋循環に大きく影響しています。しかしその具体的なメカニズムは、まだよく分かっていません。それは、塩分データの蓄積が乏しいためです。塩分の観測は水温に比べて難しいため、20世紀までの海洋物理の変動はもっぱら水温によって記述されてきました。塩分の役割は、塩分観測が継続的に行われている、ごく限られた海域あるいは観測点でのみ、調査可能でした。


図2. アルゴフロートの分布(2014年11月現在)。
色はフロートを投入した国を表す。日本は紫。

このような状況が、2000年にはじまった国際観測プロジェクト「アルゴ計画」により、一変しました。水温・塩分センサーを搭載した「フロート」と呼ばれる自動観測ロボットが海中を漂流しながら海面と深さ2000mの間を10日毎に往復し、観測データを海面から衛星経由で送っています(アルゴ計画の詳細については こちらをご覧ください)。2007年頃には全球の海洋に目標であった3000台のフロートが分布するようになり(図2)、それ以来10年近くのデータの蓄積が得られました。過去15年間、海洋内部の物理観測、特に塩分観測では、20世紀以前をはるかに上回るデータが得られたのです。

公募研究班「太平洋の表層塩分の海面に基づく新たな海洋区系の構築」では、アルゴデータを中心に、衛星による海面高度データや様々な海面フラックスデータ(風応力データ、降水・蒸発データなど)を解析することにより、太平洋の各海域における表層塩分の変動とそのメカニズム、またそれらが海洋循環に与える影響を調べています。そして、その解明を通じ、これまで主に水温によって記述されてきた海洋循環の描像を再構築することを目指しています。


図3. 北太平洋回帰線水の形成域の西側(左)と東側(右)における
混合層の塩分の時間変化(細線)。太線は1年の移動平均を表す。

図4. 北太平洋(左)と南太平洋(右)の冬季のバリアレイヤーの分布
(グレーの塗りつぶし)。背景のコンターは海面塩分分布を表す。

本研究班ではまず、北太平洋亜熱帯域中央の海面で形成される、高塩分で特徴づけられる「回帰線水」の変動とそのメカニズムを調べ、回帰線水の変動が形成域の東側と西側で大きく異なり、東側では季節変動、西側では経年変動が卓越すること(図3)、また東側の季節変動が海洋混合層(海面近くの、水温・塩分・密度までが鉛直方向に混合した層)の変動によりよく説明されるのに対し、西側のそれは10年規模で変動する水平拡散と関連すること、東側から沈み込んだ回帰線水が比較的速やかに散逸するのに対し、西側から沈み込んだ回帰線水は下流域に形成域の経年変動を伝えていること、などを明らかにしました。また、本研究班では、回帰線水形成域の赤道側の塩分フロント域に見られる「バリアレイヤー」の変動とそのメカニズムを調べました(図4)。バリアレイヤーとは、混合層の中で塩分が成層したために浅くなった混合層の下に残る、混合層よりも僅かに塩分が高い層のことで、熱帯域を中心に大気海洋相互作用で重要な役割を果たすと考えられています。アルゴデータや過去の船舶観測データなどを解析した結果、亜熱帯域のバリアレイヤーは、従来言われてきたような低緯度域からの海面付近の低塩分水輸送や高緯度域から亜表層に沈み込む「回帰線水」によって形成されるのではなく、海面付近の塩分フロントが傾くことによって形成されるということが分かりました。また、北太平洋亜熱帯域のバリアレイヤーの経年変動が北太平洋十年規模振動、南太平洋亜熱帯域のそれがエルニーニョ南方振動と関係していることを見出しました。現在は、各海域の海洋混合層の厚さとその変動が水温と塩分どちらで主に決まっているのかを調べ、マッピング作業を進めています。(岡英太郎)

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