科学研究費補助金 新学術領域研究「新海洋像:その機能と持続的利用」

連載

海氷融解過程を考慮した極域海洋像の構築


北極海における海氷のサンプリングの様子(左)
採取した海氷からサンプルをセラミックナイフで削り取っている様子(右)

本課題では、海氷が栄養物質の循環と植物プランクトン増殖にどのような役割を果たしているのかを、生物・化学的視点から明らかにし、季節海氷域の生態系の豊さを生み出す要因を研究しています。これまでの知見では、季節海氷域では春季に海氷が融けることで海洋表層に低温・低塩分水が供給され、海洋表層の密度成層を発達させ、植物プランクトンにとって光環境の整った安定な生息域を形成する点で、春季から夏季の植物プランクトンの増殖に大きな影響を与えることが指摘されていました。一方で、表層の低温・低塩分水の供給が、窒素・リン・ケイ素などの主要な栄養塩や、海水中で不足しがちな鉄分などの濃度にどのような影響を与え、植物プランクトンの増殖に影響しているのかについては良く分かっていません。例えば海水が結氷する時には、栄養塩などの海水中の物質が排出され海氷が形成されていきます。また海氷は、冬季の間、大気降下物を海洋表面にトラップし、または大陸棚浅海域や沿岸縁辺の底泥物質を巻き込むことで、植物プランクトン増殖に必須な鉄などの微量栄養物質を広範囲に移送し、海氷融解後の植物プランクトンに供給している可能性が考えられます。このように海氷は、冬季のみならず春季から夏季にかけて、基礎生産の増減に寄与していると考えられますが、海氷内や海氷融解水の化学物質分析の困難さから、これらを科学的に裏付けるデータはありませんでした。そこで我々は、海氷内に含まれる化学物質と、海氷融解水が表層の栄養物質環境に与える影響を調べるため、2013年夏季の北極海において観測研究を実施しました。先ず、海氷をクリーンにサンプリングし、海氷の中に含まれる窒素・リン・ケイ素などの栄養塩や鉄分の分析を実施しました。その結果、海氷には表層の海水にくらべて1-2オーダー以上高い濃度で鉄分が含まれていること、一方で主要な栄養塩は海氷結氷時に排出されて海氷内の濃度が著しく低いことが分かってきました。さらに、海氷の融解水が海洋表面に広がっている様子を捉えるために、北極海の氷縁域で海洋表面水のマッピングを実施しました。海水中のアルカリ度を測定することで、北極海表層に分布している淡水の起源を「海氷融解水」と「河川水」に分けて評価することができます。我々はこのアルカリ度と鉄分・栄養塩を測定することで、北極海表層の広範囲に海氷融解水由来の鉄分が供給されていて、主要な栄養塩である硝酸塩が消費されている様子を捉えることに成功しました。河川水由来の鉄分供給の及ぶ範囲に比べ、海氷融解水由来の鉄分の及ぶ範囲は各段に大きいと考えられ、北極海季節海氷域の植物プランクトン生態系に大きな影響を与えていることが示唆されました。


北極海における河川起源淡水(左)と海氷融解水起源の淡水の割合(%)(右)

北極海表層氷縁部における海氷融解水由来の淡水フラクションと溶存鉄濃度
の関係(左上)アラスカ沿岸部における海氷融解水+河川水由来の淡水フラ
クションと溶存鉄濃度の関係(左下)

現在、気候の変動に伴って極域・亜極域は激変しています。“季節海氷域”の拡大や海氷の減少は、海氷融解水・河川水の物質輸送の変化を通して、北方の縁辺海(ベーリング海やオホーツク海)を含めた広い周辺海域の物質循環や生物生産にも大きな変化を与える可能性があります。そのため、極域・亜極域の変化が周辺海域に及ぼす影響を明らかにすることは、極域・亜極域海洋を自国の領海に持たない我が国にとっても、気候変動、生物生産、水産資源を通して直接関わる問題を含む可能性があります。我々は、現在激変している極域海洋とその周辺海域への影響までを考慮し、極域・亜極域海洋の新たな海洋像を構築することを目指しています。(西岡 純)

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