連載
海の恵みに対する人の価値~「それがなくなったら困る」気持ちは「それをまもりたい」気持ちを高めるか?~
海は、様々な恵みを私たちに与えてくれる。魚や海藻は私たちの栄養源になるし、干潟に住む生物は汚れた水を浄化してくれる。潮干狩りやダイビングも、海がなければ楽しむことができない。サスペンス・ドラマの終盤で、追い詰められた犯人役と追跡してきた刑事役とが、海を眼下に断崖絶壁で最後の攻防を繰り広げるのも、お馴染みのシーンである。これも、海がなければ緊迫感に欠けるだろう。そして、海が二酸化炭素の吸収や酸素の生産などを担ってくれているおかげで、私たち地球上の生物が生きる基盤ともいえる環境が保持できている。
現代を生きる私たちの中で、このような有形・無形の海の恵みが、未来永劫・安定的に続くと思っている人は、そう多くはいないだろう。漁業資源の枯渇、沿岸開発に伴う干潟やマングローブ等の減少、地球温暖化に伴う海面上昇による海岸線の後退など、海の環境あるいは生態系機能の変化が報じられる一方、海底鉱物資源利用や海洋エネルギー利用などの技術開発が進み、これまで以上に海洋空間とそこにある資源に対する利用ニーズは高まってきている。限られた海洋空間に存在する海の恵みをどのように分配すれば国際的合意が得られるかは、喫緊の課題である。
さて、海の恵みに対する価値は、人によって、またその人が置かれている社会・経済・環境条件によって異なることが予想される。海の恵みの分配をめぐり、多様な利害関係者の間で合意形成を図っていくためには、誰がどのような価値を海の恵みに感じているかを理解することが有用である。なぜなら、合意形成には利害関係者の「選択」が必要であり、選択はその人の「価値」に影響されるからだ。
このような背景をふまえ、研究班A03-2では、海の恵みに対する人の価値を調べ、その価値と海洋環境を保全したいという気持ちとの間の因果関係を探った。これにより、これまでの自然科学に基づく海の恵みの評価と、海の恵みに対する人の価値との間には、どのような違いがあるかを探り、今後のあるべき海の恵みの評価の検討に役立てること目的とした。あわせて、人々の海洋環境保全意欲を高めるのに有効な政策立案に資する知見を得ることを目指した。
本研究では、海の恵みに対する人の価値を探るキー・ワードとして、「不可欠性」を設定し、「海の恵み(例えば魚や海藻などの食料供給)の不可欠性が高ければ高いほど、その恵みに対する人の価値も高く、海洋環境を保全したいという意欲も高まる」という仮説を立て、日本在住814名のアンケート回答を分析した。(アンケート詳細は参考文献を参照。)その結果、以下3つの発見があった。
第一に、回答者は「不可欠性」を軸にすると、海の恵みを3つに分けて認識しており、この回答者による海の恵みの3分類は、学術研究でこれまで頻繁に用いられてきた海の機能に基づく4分類※(供給サービス、調整サービス、文化的サービス、基盤サービス)とは異なるという発見だ。回答者による海の恵みの3分類は、あえて名前を付ければ、「生活に必要な海の恵み」、「間接的な海の恵み」、「文化的な海の恵み」となる(図1)。図1からもわかるように、「生活に必要な海の恵み」は、魚や海藻などの食料を供給してくれる海、私たちが生きられる環境基盤を保持してくれる海、美しい景観を提供してくれる海、に対する認識の背景に共通する概念を表したものといえる。「間接的な海の恵み」という概念は、海洋生物が持つ遺伝情報を利用した新たな医薬品開発や、海底にある天然ガスやメタンハイドレートなどのエネルギー資源利用など、短期的に恩恵を得ることは難しそうで、回答者にとって身近ではない資源供給の恵みと、砂浜による減災機能や干潟による水質浄化機能など、“食べる・見る”などの直接的な恩恵ではないが、私たちの安全な生活を確保してくれる海の調整機能に対する恵みとを、1つにまとめて認識していることを表していると考えられる。「文化的な海の恵み」は、私たちの生活を豊かにする様々な文化的価値を提供してくれる海の恵みに対する認識を表したものといえる。これまでの生態系評価に用いられてきた上述の代表的な4分類は、日本在住のアンケート回答者の認識とはズレており、回答者からみれば合理的な分類とは感じられないだろう。つまり、海の価値を評価する際、自然科学的には妥当な分類も、人から見れば妥当とはいえないことがあり得るのだ。これは、今後の海洋生態系の価値評価において考慮すべき点であろう。
図1.回答者が認識する海の恵みの3分類
第二に、設定した仮説「海の恵みに対する不可欠性が高いほど、海洋環境を保全したいという意欲も高まる」が棄却され、最も不可欠性の低い「文化的な海の恵み」に対する人の価値が、最も大きく「海洋環境を保全したい」という意欲を高めるという発見だ(図2、図3)。つまり、海の恵みに対して「それがなくなったら困る」という気持ちが海洋環境を保全したいという意欲に与える影響よりも、「それがなくなっても大して困らない」けれども「海を見て美しいと感じたり、海水浴を楽しんだりする、文化的な海の恵み」を大切にする気持ちが海洋環境保全意欲に与える影響の方が、大きいのだ。この結果をふまえると、日本で海洋環境保全を推進したい場合、魚などの食料供給や物質循環などの「生活に必要な海の恵み」が「なくなったら困る」、という気持ちを煽るより、美しい海岸風景の保全や海洋レジャーを楽しむ機会を増やしたり、海に関する伝統行事や文化の素晴らしさを伝えたりすることにより、「文化的な海の恵み」へのありがたさを高めた方が、人々の海洋環境保全行動が起きやすいといえよう。
図2.海の恵みの3分類に対する不可欠さの度合い。
図3.海の恵みに対する人の価値と海洋環境を保全したいという意欲
との因果関係。矢印の太さが影響の強さをあらわす。点線は、影響
があるとは限らないことをあらわす。
第三に、第二の発見から考察される“逆転現象”の原因としての「文化的な海の恵み」の希少性である。ここで“逆転現象”とは、“「生活に必要な海の恵み」の方が「文化的な海の恵み」より不可欠性が高いにもかかわらず、「文化的な海の恵み」の方が「生活に必要な海の恵み」よりも人々の海洋環境保全意欲を高めやすい”という矛盾だ。この矛盾は「希少性の原理(scarcity principle)」により生じている可能性がある。これは“ダイヤモンドと水のパラドックス”として知られているが、水は人の生存に不可欠で非常に役に立つのに、豊富にあるため安価な一方、ダイヤモンドは人の生存に不可欠ではなく大して役に立たないのに、希少であるため高価になる、というものだ。これを本研究結果に適用すると、「生活に必要な海の恵み」は人の生活に不可欠で非常に役に立つのに、豊富にあるため「それを守りたい」という意欲は大して高まらない一方、「文化的な海の恵み」は人の生存に不可欠でなく大して役に立たないのに、希少であるため「それをまもりたい」という意欲がより高まるのではないか、ということだ。つまり、日本の回答者が「魚や海藻などの食料は豊富にあるし、海による物質循環なども安定的だと認識している」一方、「海を見て美しいと感じたり、潮干狩りや海水浴などのレクリエーションを楽しんだりする機会が希少だと認識している」可能性がある。これまでにも、生態系の文化的サービスの方が供給サービスよりも価値が高いという報告はあったが、今回の発見は、この逆転現象と、その背後に隠れているかもしれない「文化的な海の恵み」の希少性を指摘したことだ。この考察については、今後の研究によるさらなる検証が必要である。
上述した3つの発見は、海を評価し、海の持続可能な利用のための必要な認識の醸成を目指す文理融合プロジェクト「新海洋像」において、自然科学と社会科学とのつながりを具体的に考える好材料となる。つまり、自然科学調査に基づく海の評価をふまえ、人の価値も取り入れた包括的な評価はどのように可能であるか、また、可能な場合、どのような要素を考慮する必要があるかの検討に資する情報を提供できた。今後は、海の恵みの持続的な利用に関する国際的な合意形成の必要性をふまえ、その人が置かれている社会・経済・環境条件により、海の恵みに対する人の価値がどのように異なるのか、様々な国を対象とし、さらに探索を深めていきたい。(脇田和美・黒倉壽)
【参考文献】Kazumi Wakita, Zonghua Shen, Taro Oishi, Nobuyuki Yagi, Hisashi Kurokura, and Ken Furuya (2014). Human utility of marine ecosystem services and behavioural intentions for marine conservation in Japan. Marine Policy 46: 53-60.
※ 国連ミレニアム生態系評価による4分類。
・供給サービス:食料、燃料、遺伝資源など、生態系からの産物による恵み。
・調整サービス:干潟による水質浄化や、サンゴ礁による高潮被害からの海岸の保護など、生態系による環境の制御による恵み。
・文化的サービス:精神的な充足や美的体験など、非物質的な恵み。
・基盤サービス:上記3つの(供給、調整、文化的)サービスの供給を支える恵み。例としては、光合成による酸素の生成、栄養循環、土壌形成など。