科学研究費補助金 新学術領域研究「新海洋像:その機能と持続的利用」

連載

海洋生元素地理の高精度観測からの新海洋区系

生物活動に不可欠な炭素、窒素、リン等生元素の分布は、水産物の生産や光合成による酸素の供給など人類が生態系から得る恵みである“生態系サービス”の量と機能を決定する重要な要素である。海洋の生元素分布は、陸上生態系における土壌帯に相当するともいえる。しかし、従来の分析技術では海洋の広大な海域が検出限界以下の濃度となることや、分布特性の異なる水塊の混合や季節・経年変化によりその区分が困難であるため、海洋生元素地理は陸域に比べ漠然と把握されているに過ぎない。近年、分析技術の発達により、生元素分布を従来法より1-2桁高精度でかつ連続的に測定することが可能になり、またその組成に関しても詳細な区別が可能となりつつある。本研究は、最新の測定手法を用いた生元素分布の高精度高解像度把握により、生元素地理を基盤とした海洋区系の確立を目的としている。

現在まで、調査航海およびデータベース解析により南北太平洋の窒素、リン、炭素の濃度を存在形態別に計測し、その地理的分布の把握を進めている。この中で亜熱帯域のリンの分布様式について新たな知見が得られたのでここに報告する。リンは海洋では主にリン酸塩として存在するが、そのほか溶存有機態リンおよび生物体としても存在している。中西部北太平洋および東部南太平洋の亜熱帯域において行われた航海において、従来の数十倍の精度でリン酸塩を測定できる、1 mの長光路長キャピラリーセルを組み込んだ連続フロー分析システムを用いた分析を行った。その結果、リン酸塩が、東部南太平洋亜熱帯域では100 nM以上残存しているのに対し、北太平洋亜熱帯域では中部で平均33 nMと低く、西部では平均6 nMと枯渇していることが明らかになった(図1)。リン酸塩枯渇域では、溶存有機態リン (DOP) のうちアルカリフォスファターゼ (AP) によって加水分解される易分解性DOP (Labile DOP、以後LDOP) が有機物生産におけるリン源として重要になると考えられるため、LDOPの濃度も測定した。その結果、リン酸塩の分布と同様に、西部北太平洋で低く (平均5 nM)、中部北太平洋で高かった (平均14 nM)。一方、東部南太平洋においては、リン酸塩のように高濃度ではなく、検出限界付近の濃度であった (平均7 nM)。表層混合層内のAP活性は、西部北太平洋で顕著に高く、他の海域では低かったため、西部北太平洋ではリン酸塩枯渇下においてLDOPが積極的に利用されたため、LDOP濃度が低かったと考えられる。一方、東部南太平洋の植物プランクトン密度は他の海域に比べて極端に低かったため、LDOPがあまり生産されなかったことが低いLDOP濃度が観測された理由であると推察される。西部北太平洋でもリン酸塩濃度が特に低い東経160度以西の海域では、動物プランクトンとして存在するリンがリン酸塩と同程度の量存在することが明らかになった。このことは、リンが極端に枯渇した海域では、リンのリザーバーとして動物プランクトンが重要な役割を果たしていることを示唆している。リンの分布様式から東部北太平洋および中西部南太平洋除く亜熱帯太平洋が、南太平洋東部、北太平洋中央部、北太平洋西部の3つの海域もしくは北太平洋西部を東経160度以西と東経160度以東の2つに区分する4つの海域に区分可能であることを示している。(齊藤宏明)


図1.表層混合層内における平均リン酸塩濃度 (nM) の分布。

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